シンポジウムの時、書籍販売で購入したもの。
また、シンポジウムでは保護司の方のお話で、「被害者支援」を念頭に「加害者支援」を考えるというカルチャーショックがあり、奥が深いことと不勉強の両方を少し埋めてくれた本だった。
気になるところを抜粋・加筆して書評としたい。
治安悪化について、2006年法制審議会の中に刑務所の過剰収容対策のため「被収容人員適正化方策に関する部会」つくられ、議論の前提として、治安が悪化して犯罪が増えたから過剰収容が起きた、という解釈ができていた。しかし、過剰収容は、厳罰化政策によって公判請求人員が増え、刑期が長期化したから起きたのが実情であったこと。検察庁が厳罰化を緩め始めたのが2006年頃からなので、部会発足時から過剰収容は徐々に緩和に向かっていて、部会の答申が出る前に問題は解決し始めていたということ。つまり、問題提起そのものに事実誤認があった。
付け加えて言えば、統計上でも、殺人を含め犯罪は減少している。
犯罪白書の治安悪化特集から再犯分析に方向転換が図られ、結果約3割弱の再犯者が犯罪全体の6割を担っていることが明らかとなり、再犯防止や受刑者に目が向けられ始めた。
刑務所や少年院といった収容施設にかかる年間予算は約2300億円。例えば、ケースとして多い、少額の万引きをした高齢受刑者の収容にかかる純経費は、1年間で平均65万円、刑務官の人件費を入れると300万円弱の税金が使われる。その対象となっているのは、生活困窮者や孤立した高齢者や障害者が多い。他の試算でも、スーパーで300円分のパンを万引きした人が、1ヶ月間の勾留後、6ヶ月の実刑となった場合、裁判費用を含めて130万円かかるといわれている。コスト的にも監視カメラよりも街頭を明るくする方が、安くて効果が高く、人にも街にもやさしい。お弁当を盗んだ人を刑務所に入れるより、福祉的に支援した方が安くて再犯率も低い。
統計上、IQ70未満の受刑者が3割存在するにも関わらず、退官した裁判官の中に「自分は知的障害者を刑務所に送ったことがないと思う」、”思う”と言うところが微妙でもあるが、障害に対する理解・認知に問題があることが示唆される。気づいていないだけとも言われるが、気づこうとしなかったことにも気づいていない現状がある。たまに、障害に理解がある裁判官がいたとしても身内に障害がある人がいる場合が多いそうで、可能性について気づいて知ろうとすることが大事になる。
感想のまとめとしては、個人モデルと社会モデルを、鶏と卵に置き換えると、どちらが先かは、現状では社会モデルにシフトする方が適切であると思った。
また、流しっぱなしの報道からの情報を、冷静にみる目も必要。